Friday, September 28, 2012

No. 99: 空海を覚えているか?(September 29, 2012)

Management:
日本と中国の関係が、いよいよ深刻になってきた。ナショナリズムが激高すると、時間とともに鎮静化を待つしかない。経済関係を考慮して、時間とともに、不安定な状態も、いつかは落ち着くものである。フォークランド紛争で、英国とアルゼンチンの関係に緊張が走ったが、現在でも、両国がいがみ合っているわけではない。世界の歴史とは、このようなナショナリズムの対決の歴史といっても過言ではない。対決の歴史を見ずして、友愛を追い求めた日本が、あまりにも脳天気であったとうことである。

政治主導という理想のもとに、世界一プライドが高いうえに儒教を基本思想とする国家に、第一級のキャリア官僚を大使として送らず、安易に民間人を大使に任命したという問題点はもっと深刻に考えてもよい。ニクソン大統領も田中首相も、自らが中国を訪問している。良くも悪くも、中国とはそういう国なのである。中国の歴史を見れば、第一級のキャリア官僚を送り、政府高官とのネットワークを構築すべきではなかったか。

中国行きの船が難破しかけたため、空海を含め遣唐使の一行が中国に着いたときの身なりは、ひどい身なりであった。遭難で国書も失ったため、彼らの運命は過酷であった。国の代表として来たと言っても、信じてもらえず、隔離された状態におかれてしまった。そこで、空海は、唐の皇帝あてに、自らが漢文で親書をしたためた。その親書に書かれた第一級の素晴らしい漢文をみて、役所の人間は大変におどろき、長安まで、彼らを丁重に送り届けている。つまり、見事な漢文だけで、一行が皇帝に会うに相応しい人物であることを、空海は伝えたのである。この事実は、空海の素晴らしい能力もさることながら、人物を評価する中国人のメンタリティを示しており、非常に興味深い。

ビジネスでも同じである。大企業相手の、大規模な商談やプロジェクトでは、社長あるいはそれに相応しい肩書きのある人物が行く必要がある。社長でない人物あるいはそれに相応しい肩書きのない人物が、社長から権限を与えられて来ましたと、相手企業の社長クラスの人物に挨拶するようでは、商談やプロジェクトがまとまる可能性はない。

かつて、クライスラー再建の立役者である、リー・アイアコッカは、大統領選挙に出て欲しいという誘いに、「ビジネスと政治は違う」と、一言のもとに依頼を断っている。外交とは、国と国の国益のぶつかり合いである。安易に、自国の政治姿勢だけで、動くものではない。政治もビジネスも、相手があってはじめて成立するものである。

No comments:

Post a Comment