Sunday, November 25, 2012

No. 107: 農林1号を覚えているか (November 26, 2012)

Management:
総選挙が近づくと、農政が常に大きな争点になる。農業が国の存続にかかわる重要な産業であることも、農業従事者の票が選挙に非常に重要であることも、高名な政治家が声を大にして叫ばなくとも、小学生でも理解できることである。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に参加すると、日本の農業が壊滅的なダメージを受けてしてしまうと危惧する政治家は多い。元総理大臣がこのような考え方を、政治集会で述べている。最高責任者が、現状を守ることにのみ焦点を合わせているようでは、国の競争力を強化することはできない。

現在では、新潟県を始めとする寒い地方でも、素晴らしい米が産出されているが、米はもともと亜熱帯地方の作物である。つまり、東南アジアの国々のように高温多湿の気候が生育には不可欠な条件であった。寒い地方でも米の生産を可能にしたのが、1931年(昭和6年)に農林省の技術者が開発した農林1号という歴史に残る品種である。コシヒカリやササニシキ等の品種は、すべてこの農林1号の子孫である。日本人が、十分に食べられるようになったのは、1960(昭和35)くらいと考えるのが一般的であり、そんなに昔のことではない。今日の美食と飽食の背景には、地道な品種改良の歴史があったことを忘れてはいけない。現在でも、世界を見れば飢えや飢饉はめずらしい話ではない。

日本が蓄積した素晴らしい農業技術力を海外に輸出する、あるいは、その技術で海外原産の農産物を日本向けに改良する努力をすることが必要な時代になっている。さらに、農産物も厳しいコスト競争に勝ち抜く智恵と努力が求められている。業績不振にあえぐ外食産業が、コスト削減のため輸入食材の使用を増やす。当然の成り行きである。いつまでも、変化することを嫌い問題解決を先送りすると、世界の動きに対応できなくなる。

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