Wednesday, December 12, 2012

No. 109: 「渚にて」を覚えているか (December 12, 2012)

Management:
いつものことながら、選挙運動が激しくなると、選挙に勝つことに焦点を合わせた演説が多くなる。「原発を稼動させて、経済を発展させるのは恥ずかしい」と叫んだ候補者がいた。なぜ、恥ずかしいのか、まったく理解できない。「コンクリート(セメント)から人へ」も同じ。当時の麻生首相をあてこすった表現であることは明白。政治は、生徒会ではない。耳に心地よい表現を使って、聴衆のうけを狙うべきではない。原発の問題は、非常に重要な問題ではあるが、それ以上に重要なのは、日本の競争力をどのように強化するかである。国の競争力を強化することなく、国民に豊かな生活を約束することはできない。お金は決して天から降ってこない。

むかし、グレゴリー・ペックとエヴァ・ガードナーが主演した「渚にて(On the Beach)」という映画があった。オーストラリアの準国歌というべき「ワルティング・マチルダ」という歌とともに大ヒットした映画である。米ソが核戦争をしたため、オーストラリア以外の世界が死滅して、オーストラリアもやがて死滅してしまうという、核の恐ろしさを描いた名作である。しかし、人類の英知と技術革新がその恐怖を克服し、原子力の平和利用がすすんだ。そして、そのおかげで快適な生活を享受できるようになった。この事実を忘れるべきではない。

原発事故をなくすには、原発を破棄すればよいという単純な思考は、格差があるなら、格差をなくそうと同じくらいに脳天気な思考。「格差のない社会」これほど、耳に心地よい言葉はない。国民全員が優雅な生活を享受できるような気持ちにさせる。残念ながら、そうはならなかった。それどころか、経済がガタガタになってしまった。格差のない社会とは、どんな社会か。それは、国民がすべて競争しない、つまり、努力しない国家である。そのような国家が存続できるはずがない。原発の問題を考える場合、原発をなくすという視点よりも、原発の安全性をさらに高めるには、どうすればよいかという視点のほうが重要。

On The Beach

Waltzing matilda